特別対談 ~子どもたちの笑顔あふれる仙台へ~

松井佑介理事長(以下、松井):現在、子どもたちに対して多岐にわたる活動をされておりますが、もともと子どもの教育には興味があったのでしょうか?

大橋雄介氏(以下、大橋):正直に言うと、たまたまなところがあります。私のキャリアを少しだけご紹介すると、社会人2年目に仙台で働いていた時期がありました。ただ、自分のやりたい仕事の方向性との違いが出てきてしまい、20代はお金を貯めるのと、勉強に充てようと考え、リクルートに転職し東京で暮らしていました。その後、リーマンショックがあり早期退職優遇制度を利用して29才で退職し、仙台に戻ってきました。

松井:その頃はまだ東日本大震災の前ですよね?

大橋:ちょうど震災の1年前の2010年3月でした。地域に貢献する事業を作りたいという漠然とした気持ちだけで仙台に移住しました。運よく、NPO法人せんだい・みやぎNPOセンターの代表理事でありNPOセクターの草分け的存在である加藤哲夫さん(故人)に拾っていただき、そこから1年間、NPOや社会起業家をサポートする仕事に携わりながら、自身もNPOについて学はせていただきました。

松井:そこからなぜ現在の仕事(活動)を始めることになったのでしょうか?

大橋:これから何をしていこうかと考えていた時に東日本大震災が発災し、物資の仲介ボランティアをしたり、NPOの安否確認など、自分ができることをとりあえず無我夢中でやり続ける中で「学校が避難所になっていたり、使えなくなったりしていて、これから学校についていけなくなってしまう子どもが大量に発生する可能性がある」という声を聞きました。地元のNPOも自ら被災して動けないところもたくさんあることを知っていたため、自ら行動を起こそうと思い、ボランティアを集め、避難所の中で学習サポートを始めたのが「アスイク」を立ち上げたきっかけです。団体を立ち上げたのは2011年3月28日でした。ここで何もできなかったら、今後何も出来ないという自分に対する危機感もありました。

松井:仙台JCも震災発災後、宮城県の災害対策本部に席を設けてもらい、支援要請の情報を得て、仙台JCにしかできない自立した支援も行ってきました。被災したメンバーも多くおりましたが「世界中のJCメンバーから届いた支援物資を無駄にできない」「できることはすべてやる」という使命感で、避難所をまわり物資を配ったり、炊き出しを行ったりしました。

松井:活動を始めてみて、どのような反響があったのでしょうか?

大橋:最初は、食べ物がないのという環境の中で、教育に対して共感を得ることができませんでした。「まだそんな活動はいらない」「他でやってくれ」などと言われました。誰にも必要とされてないのかなと思いましたが、まず1回やってみてダメなら辞めようと、最初に若林体育館で行いました。4の子供が参加して、始めると、子どもたちが笑顔になり、終了後には「またきてね」と言ってくれました。私たちもそう言われたら来ないわけにはいきません。そうやって地道に活動を繰り返していくうちに、新聞などにも取り上げていただけるようになり、活動が少しずつ認知されていきました。避難所や仮設住宅での活動は2015年9月末まで続きました。

松井:仙台JCも若林体育館でよく炊き出しを行っていました。これまで誰も体験したことのない環境で、なにが正解なのか誰もわからない。それだけ生きることに精一杯だったと思います。私たちの活動は迷惑だったかもしれませんが、なにもしないとそこで止まってしまう。まず一歩を踏み出すことが大事なことだったと思います。そして、さらに先の未来にある課題を冷静に考え、行動された大橋さんはすごいと思います。

松井:では、活動を通して見えてきた課題などを教えてください。

大橋:学習サポートを続ける中で、大勢の子どもや保護者に出会い、精神的な問題を抱えているシングルマザー、昼間から仮設住宅の空き地で遊びまわっている多子世帯の子どもたちに出会い、震災は特に以前から厳しい状況に置かれていた子どもたちに追い打ちをかけていることに気づきました。そこで、まずこの現状を社会に知ってもらうために、被災された保護者や子どもたちに聞き取り調査をしてまわりました。そして、2011年12月に「3・11被災地子ども白書」を刊行しました。この白書の一番伝えたいメッセージは、「震災によって子どもの貧困問題が顕在化している」というものであり、これをキッカケにして、アスイクは被災者支援から子どもの貧困問題へと取り組むテーマの舵を大きく切りました。

松井:日本ではあまり聞きなれない子どもの貧困とはどういう状態でしょうか?

大橋:日本では6人に1人の子どもが貧困状態と言われています。仙台もそれとほとんど変わらない状況であります。家庭それぞれで抱えている問題には違いがあります。共通しているのは「お金に余裕なく、精神的にも余裕がなくなり、まわりとの関係も希薄になり、 子どもとの関わり方も好ましくない状況になっていく」という傾向があります。

松井:実際、どのような環境の子どもがいるのでしょうか?

大橋:たとえば、閉じた人間関係の価値観の中で生きている子どもたち。中学校を卒業したら家から出ていけと親から言われていて、母親のパートナーから暴力を受けている男子中学生。小さい妹の面倒を自分が見なければならずに自分だけ部活もなにもしていない女子中学生。保護者が自殺未遂を繰り返していて、夜中に親が出ていかないように玄関に布団を敷いて寝ている不登校の男子中学生。などさまざまです。そしてその背景には貧困があることが多いのです。

松井:地域コミュニティの希薄化が進んでいることもあり、自分の子どもが学校にいっていても、見た目では分からない、情報も入ってこないのが現状だと感じます。また、地域の子どもたちに、大人が興味をもたなくなってきているとも感じます。仙台JCでも子どもに関わる事業を継続的に行っています。地域の課題を知って関わってもらい、子どもたちとの接点を生みだしていくことが必要だと感じています。

大橋:最近では、学校と連携した取り組みも始まっています。子どもたちを本当に支えるためには、子どもたち本人へのアプローチだけでなく、その子を取り巻く人間関係を豊かにし、子どもたちの生活の背景にある家庭の問題も含めてサポートしなければならないと考えています。「困難を抱えた子どもたちが、多様な関係の中ではぐくまれ、見守られる社会」、これが私たちの掲げる実現したい未来の姿です。私たちはそのために、人と人、組織と組織をつなぐ役割だと考えて活動しております。

松井:仙台市の子どもの貧困の現状をどのように伝えていくことが必要だと感じますか?

大橋:子どもの貧困率が何パーセントといった情報を伝えるだけでなく、ボランティアや地元企業とタイアップしたプログラムの実施などを通して、直に子どもたちに関わってもらうことが有効だと感じます。それが、この問題への理解、当事者意識を深めることにつながるからです。

松井:では、実際行っている企業と連携した活動を教えてください。

大橋:例えば、これは地元企業ではなくグローバル企業との連携になりますが、職業教育の一環として、子どもたちが起業を体験するプログラムを4年にわたって開催しています。子どもたちがチームをつくり、お店のコンセプトづくり、商品の仕入れ、ポップの作成、最後は東京のマルシェで大人に混じって販売するところまで体験する本格的なプログラムです。今は首都圏の企業と連携することが多いですが、これからは地元企業との連携も増やしていきたいと考えています。

松井:これからの展望を教えてください。

大橋:今後の展望として、これまでの自治体協働事業の横展開に加え、某自治体との協働によって実施する子どもたちの多様な居場所を生み出す担い手の発掘・支援事業(直営ではなく、間接的に居場所を増やしていくアプローチ)、県内の子ども支援団体との協働によって共通の人材育成プラットフォームをつくる事業などが動きだす予定です。子どもの貧困問題の改善に対して、より広がりのある活動を行っていきます。

松井:ゴールが見えない中で継続していくことへのジレンマはありませんか?

大橋:NPOは取り組む社会問題自体がなくなり、解散することが目的だとよく言われます。ただ、最近は人間が社会を形成する上で、貧困はなくなることはないと思っています。であるならば、活動を続け、仲間を増やし続け、社会課題として論点化していくという視点も大事です。 持久戦になりますが、継続して発信し続けることで、低所得家庭の子どもたちの問題に当事者意識をもつ市民や組織を増やし、それらの力を結びつけることによって、被災地から「貧困の連鎖」「社会的排除」を打ち壊すモデルを生み出し続けてまいります。

松井:仙台JCは若手経営者が集まった団体です。情熱はあるけれど、僕らだけでやれることは限られています。そこを大橋さんのような想いを持ち、本気で取り組んでいる方と一緒に運動ができれば、仙台が少しずつですが確実に良くなっていくと確信しています。是非一緒に頑張っていきましょう!宜しくお願いします!

NPO法人アスイク代表理事 大橋 雄介氏(おおはし ゆうすけ)


仙台市協働まちづくり推進委員会副委員長
NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター評議員
公益財団法人子どもの貧困対策センターあすのばアドバイザー
全国子どもの貧困教育支援団体協議会幹事
1980年生まれ。株式会社リクルートのコンサルタントなどを経て、2010年3月に独立。独立後、市民活動の先駆者である加藤哲夫氏と出会い、NPO法人せんだい・みやぎNPOセンターにてNPOや社会起業家の支援事業を手がける。震災発生直後にNPO法人アスイクを設立。著書に「3・11 被災地子ども白書」(明石書店)等がある。

<受賞歴>
平成24年9月:2012年キッズデザイン賞「リテラシー部門」、「復興デザイン部門」の2部門同時受賞
平成25年3月:被災者支援活動の功労により、厚生労働大臣より感謝状授与
平成25年11月:第10回日本パートナーシップ大賞「優秀賞」受賞
平成28年10月:アショカが運営する「UBS Social Innovators 2016」において、12団体のshortkistに選出(応募件数1,200団体の中で日本から唯一の選出)

NPO法人アスイク

仙台創生

第3回の今回は、東北の観光を盛り上げるために設立されたインバウンドの専門家集団である、“東北インアウントバウンド連合”のメンバーによって作られたツアーをいくつかご紹介したいと思います。

まずは秋田県から。秋田県と聞いてイメージするものは何でしょうか。なまはげ、竿灯、きりたんぽ、稲庭うどん、はたはた、忘れちゃいけない秋田美人など、色々浮かんでくるかと思いますが、外国人から見た秋田はどうでしょうか。インターネットで”Akita“という言葉を画像検索してみると・・・。画面が秋田犬で埋め尽くされると思います。この結果を見ると世界中の人々がAkitaと聞いて最初に思い浮かぶものは、なまはげでも、きりたんぽでもなく秋田犬だということがわかります。海外に対してPRを行う際には、まず相手の視点から物事を見て、その上で取捨選択をする必要があることがわかります。

さて、その秋田県で現在外国人に人気が出てきているツアーがあるのをご存じですか。トラベルデザインという会社が行っているそのツアー名は「マタギ・トレッキング」。マタギと共に山に入り、マタギと一緒に山に入り、その生活や山岳信仰、熊の生態等について学び、ツアーの最後には熊鍋を頂く。この一見ありえないような、マタギの暮らしぶりを体験するツアーはテレビ東京で放映されている「YOUは何しに日本へ?」でも取り上げられ、その人気は増すばかりです。

もう一つ皆さんにご紹介したいのは、青森県は弘前を舞台に旅行会社たびすけが催行した「短命県ツアー」です。実は青森県、日本で一番寿命が短いのですが。このツアーではその青森県人の「太く短い人生を味わう」ことを目的としており、朝から酒蔵2軒連続で訪問し美味しい日本酒を堪能した後、津軽名物煮干しラーメンを2杯(それぞれ違うお店で)食べるのですが、その際汁は最後まで飲むよう言われます。そして酔っぱらった状態で旅館にチェックインすると、部屋にはすぐ横になれるよう布団が敷かれており、ふとテーブルの上をみると日本酒が入った一升瓶と太宰治の「人間失格」が置いてあるという凝りよう。

宴会では青森のしょっぱい(でも確実に美味しい)グルメが数々登場し、日本酒もどんどん進み泥酔までまっしぐら。翌日は二日酔いにも関わらず早起きを強いられ、車で連れて行かれた先には雪の山が。コーンで囲われたエリア内にある雪をスコップで外にどれだけ速く、それも美しく出すかを競うこの競技はその名も「雪かき検定」が実施されます。なぜこんなことを朝からやらなくてはいけないかというと、青森県民は朝、雪かきをしないと家から車を出せない。これも「暮らしぶり」の体験というわけです。ちなみにこのツアーが催行された際には、満員御礼の上、30社を超えるメディアが取材に来たそうです。短命県という汚名をツアーにしてしまう逆転の発想には感服します。

ここまで暮らしぶりがテーマとなっている2つのツアーをご紹介しました。
ツアーと聞くと名所旧跡や、アミューズメントパーク、避暑地や温泉地を訪れるイメージを持つ方が多いかもしれませんが、この2つのツアーはそれらとは全く違う視点で作られています。世界中から観光客が訪れるインバウンド時代を迎えた今、これまでの観光を見つめなおし「新観光」として再定義する時が来ているのではないでしょうか。上記の二つのツアーの参加者は日本人・外国人を問いません。よく外国人目線と言いますが、素晴らしいコンテンツはより多くの人々に喜びを与え、そこに国籍は関係ありません。東北で育まれた伝統・文化を“現代人の感性”に合わせる観光づくりが今、求められています。

 

株式会社ライフブリッジ 代表取締役 櫻井 亮太郎氏

1973年宮城県生まれ
アメリカ ワシントン州シアトル Roosevelt High School卒業(高校)、イギリス ロンドン Richmond University, International Business学科卒業(大学)、ドイツ ミュンヘンの語学学校をへて、現地IT関連企業、三井物産ドイツ支店へのサポート・エンジニアとして就労し、1999年にオーストラリア、シドニーでワーキングホリデーを活用しソフトウェア開発会社のヘルプデスクとして就労。
帰国後、2000年-2004年バークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行マーケットデータサービスエンジニア、2004年-2006年ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン証券会社にてマーケットデータサービスエンジニアを務める。
2006年株式会社ライフブリッジ設立(宮城県仙台市)。
2009年「日本人による日本人のための英語塾」開設。
現在は、最短2日間で英語接客がマスターできる「外国人おもてなし講座」の他、7カ国語での翻訳、世界17カ国への留学斡旋の他、企業とグローバル人材をつなぐ人材紹介業務を行っている。

株式会社ライフブリッジ

本業を通じて仙台を支えるJAYCEE

「公益と収益の両立がつくる笑顔あふれる美容室」

結婚や出産などでいったん仕事を離れてしまうと再就職の機会が少ないというのは、美容業界における課題の一つでした。美容師としての技術を持っているのに、働ける場所が少ないというママさん美容師の現実。長年美容業界に携わる中でそうした現実を目の当りにしてきました。

東日本大震災の発災当時は、上場している大手美容サロンの役員をしておりましたが、震災を機に経営者として他にやるべきことがあるのではないかと考え、被災地で美容師の雇用創出というビジネスモデルを構築できれば、美容業界が以前から抱える課題の解決につながるという強い思いがうまれました。

当社のビジネスモデルは「1店舗に美容師8名、保育士2名と託児室を設置。予約不要。来店したお客さまに手すきの美容師が順次対応し、1人の美容師が接客から会計までマンツーマンで対応。すべてのメニューが低価格で回転率の高い店舗に」というものです。また大きな特徴として、美容師を正社員として雇わず、個人事業主として業務委託契約する場合と、15時には帰宅できる扶養範囲内のパートで契約する点があります。日本の美容師免許保持者はおよそ120万人。実際に従事しているのは50万人。30歳を過ぎ子供を抱える多くの既婚女性は、朝から夜遅くまで拘束され、土日も仕事をするのは厳しい状況です。地方においてもその傾向は強いです。しかし被災地では夫が職を失い、働かなければならなくなった女性も少なくありませんでした。そこで勤務時間の自由度や副業推奨など、正社員の立場が逆に足かせにならないようにしました。さらに、従来の美容業界がメインターゲットとしては捉えてこなかった40歳代以上のお客さまに注目しました。美容業界では、自身の年齢マイナス10歳程度の美容師を求める傾向があるという統計があり、また女性の2人に1人が50歳以上という日本だからこそ、ママさん美容師が活躍できる潜在的なニーズがあると考えました。ママさん美容師に再就職へのチャレンジを促し、美容業界として積極的に雇用を進めていくため、勤務時間や雇用形態、給与形態を、それぞれの条件やライフステージに合わせて選べるシステムを構築しました。現在の店舗数は、平成29年6月時点で18店舗になり、雇用者数は130人を超えました。

創業当初は3年で30店舗という目標を持っていましたが、平成25年以降はそうした数値目標を特に重視しなくなりました。震災を経験した日本では“モノよりコト”“経済性より社会性”という価値観の変化がありました。店舗数ではなく、従業員やお客さまにとってその場所が働きやすい場所、お気に入りの場所であることを大切にしていきたいと考えています。

 

プロフィール
早瀬 渉(はやせ・わたる)氏
1976年生まれ。2000年に24歳で、日本初のヘアメイク専門サロン「アトリエはるか」を設立。創業7年で30店舗10億円200人の会社に育てる。同社の事業譲渡後、32歳でモッズ・ヘアジャパンへ入社。入社1年後、役員に就任し、全国約100店舗の直営店やFC店の営業統括、FC経営者への経営指導、店舗開発、マーケティングに携わる。東日本大震災を機に美容業界の発展に寄与するため同社を2011年④月末に退社。同年7月に株式会社ラポールヘア・グループ設立し代表取締役に就任。同年10月に1号店を石巻市にオープン。2012年11月、公益財団法人三菱商事復興支援財団との出資締結。2013年2月「Japan Venture Awards 2013 東日本大震災復興賞」受賞。2013年4月、復興庁「被災地での55の挑戦」選出。2013年7月「第27回人間力大賞(青年版国民栄誉賞)経済産業大臣奨励賞・復興創造特別賞」受賞。2016年5月「はばたく中小企業・小規模事業者300社」選出。2017年3月、公益資本主義推進協議会「公益資本主義の実践部門」最優秀事例賞受賞。2016年仙台青年会議所卒業。

株式会社ラポールヘア・グループ

色のしかけから持つべきビジネスの視点

「青色を塗ると、お客さまが入って来なくなるのですか?」聞けば、不動産屋を営んでおり、店舗の看板が青色なのだという。一体、何の話を聞いたのか?私の説明は、魔除けの青色でも提示しただろうか。確かに、青色には冷静になり落ち着き、一度立ち止まって考えるという心の動きがある。その心の動きを何やら冒頭の経営者は「青色を塗ると、お客さまが立ち止まって入店してくれない」と勝手に思いこんでいるようだ。大事なのは、あなたがお客さまの無意識な反応を見ること。その反応が分かれば、洞察力も鋭くなり、お客さまの好みが分かり成約が早くなるというもの。分からなければ、一度直接お客さまに聞いてみるのもいい。「青色の看板が誠実そうに見えたから」意外な反応もあるかもしれない。

うえた さより プロフィール


集客コンサルタント、マーケティングプランナー
株式会社ローズ・ウェッジ 代表取締役
企業、自治体の集客に努める。コンサルティング、執筆、セミナー・講演業。集客に心理的アプローチを高めて売るという方法を生み出したのが特徴であり、これからの売りづらい時代に必要だと説いている。著書に「たった1秒の『イメージ色』で行列店に変わる」(経済界刊)がある。

公式ホームページ

 

やさしく、強いJAYCEEの1日

・JC活動
本年は幹事として、委員会を滞りなく開催するとともに、会員として例会、事業へ積極的に参加しております。JC活動での学びは本業にも活かされております。また同期入会メンバーとの絆はJCならではのものだと思います。
・家庭
時間が出来たときには、家族とのコミュニケーションを大切にしております。特に休日は、子どもと遊んだり、家事を手伝ったりと幸せを感じながら過ごしています。9月にはもう一人産まれる予定なので、ますます子育てに夢中になれそうです。
・キーワード
限られた時間のなかで仕事、家族との関わり、JC活動のすべてをこなすのは至難の業です。しかし、まずはチャレンジしてみることで、多くの学びを得ることができ、自己成長につながります。
・仕事
定時で退社できるよう、仕事の優先順位をつけ効率的に動けるよう自己管理をしております。本業が疎かになるようならJC活動はできません。

・プロフィール
佐久間 信行 さくまのぶゆき
生年月日:1983年2月2日
会社:(株)ユアーズ・コーポレーション
業種:駐車場運営・管理業
JC入会:2016年
趣味:アウトドア・登山・子育て

爆笑コメディアンズがゆく

タイ料理レストランThaChang 仙台店

仙台駅から徒歩5分の高層ビルの地下1Fにある「タイ料理レストランThaChang」。2010年3月に仙台店をオープンし、現在の場所に移転したのは1年ほど前。店内に入るとタイにいるかのような装飾ミュージックと香りが、仙台にいることを忘れさせてくれる。

東北では唯一、厳しい審査をクリアしてタイ国政府認定の本格タイ料理店。本場のタイ料理、ドリンクがいただけます。

代表は宮城を中心にTVで活躍中のタァちゃん!話すと惹き込まれてしまう強烈な個性はお客さんの心を掴んで離さない。一度行ったらハマること間違いなし!是非一度遊びに行ってみてはいかがでしょうか。

宮城県仙台市青葉区本町1-1-1 アジュール仙台 地下1F
電話022-266-8980
年中無休※アジュール仙台閉館時除く
月~日、祝日、祝前日: 11:30~15:00 (料理L.O. 14:30 ドリンクL.O. 14:30)
17:00~23:30 (料理L.O. 22:30 ドリンクL.O. 22:30)
※お気軽にお問い合わせください