公益社団法人 仙台青年会議所のあゆみ

創成期

仙台青年会議所は、1951年(昭和26年)3月15日、当時の河北新報社事業本部長、田中金一氏の提案で渡辺康三、菅原博、藤崎三郎助の三氏が中心となり、東北地方初の青年会議所として発足、初代理事長に藤崎三郎助氏、事務局長を渡辺康三氏が担当、河北新報社観光課を事務局として活動を開始、内部の組織固めが行われ同年7月全国で11番目の会員会議所として日本青年会議所に加入した。

発足当時、米軍苦竹キャンプの司令官、ニールス・ポールセン大佐の積極的な後援と数々の便宜を受け、’54年9月には第1回東日本JC大会、高校弁論大会、経済講演会、プロムナードコンサート等、幅広い独自の働きかけを続けた。又、地域貢献事業の一環として、無医村診療団の派遣を’56年2月より’68年迄の全16回に渡り実施。’61年度には最優秀ローカルJCとして褒賞を受けた。’59年10月、1カ年を投じた全会員挙げての努力で全国会員大会を主管開催し、画期的な成功と全国に仙台JCの存在を確固たるものとすることができた。

~1970

’64年3月には、日本生産性本部仙台JCチームを編成、50日間に渡り米国・ヨーロッパ各地を訪問、経済文化の視察、各国各地青年会議所との交歓を行い、特に同年4月24日にはデンマークのコペンハーゲンJCと姉妹JC調印式を行い、両会員会議所の友好関係を締結した。
’65年4月には、青少年問題に関して“働く青少年のつどい”を開催、約6千名に及ぶ参加者に音楽とダンスを通じた交流の機会を与えるとともに、その益金の1百万円を“勤労青少年ホーム”建設の一助として仙台市に寄贈した。

’66年3月には、創立15周年の記念式典を各地会員会議所並びにOB会員に祝福されて開催した。同年より翌’67年6月にかけては、地域開発の一環として仙台市民2千名へのアンケート調査を基にした“明日への提言”を作成、仙台(まち)の改善に向けた行政へのアピールを行い、大きな反響を呼んだ。本事業は’67年度日本JC最重点事業CD計画努力賞として、全国会員大会にて褒賞された。

’68年度は、会員拡大に重きを置き、LOM会員数70名台から120名台への大幅増に成功した。

’69年6月には、東北地区会員大会を開催、前夜祭の「ふるさとの祭」に東北6県の有名な祭を集め、総勢約1千名の市中パレードを展開、市民の大きな関心を集めた。同年の全国会員大会では、同年統一事業であった安全と防衛の活動に特別賞、「ふるさとの祭」に広報活動賞を受賞した。

’70年度には、8月5日仙台七夕前夜祭として次代を担う子どもたちを対象とした“ぼくとわたしのお祭り広場”を企画、参加者が制作した七夕を飾ることを通じて市民意識の高揚と、明るい豊かなまち“仙台”の創造を目指した。又、北方領土と沖縄に視察団を派遣、国際環境の現状を踏まえるとともに、愛知外務大臣を招いて日本の進むべき方向について熱心に議論した。

1971~1980

創立20周年を迎えた’71年度は、社団法人格1年目に相応しく、3月28日記念式典、11月23日一番町・市役所前広場を中心にマスコミにも大きく取り上げられた「50万人市民パーティ」等の記念事業に取り組んだ。

’72年度は「21年目を迎えて原点に帰ろう」を合言葉に、JC本来の委員会活動と例会の充実に重点を置いた。又、宮城県知事との懇談会で「宮城県青年の船」のアイデアが生まれる一方、仙鉄局「旧駅舎よ さようならパーティ」等を主催、対外的な事業にもおおいに成功した。

’73年度は、「勇気ある発言、責任ある行動」を合言葉に、JC運動と政治の在り方を取り上げた。高密度化が進む中、福祉社会の在るべき姿に向けた新しい政治像、政治家の資質、地域社会での活動手法を討議し、日本JCの働きかけと合致させ、新しいJC運動の在り方を示した。

’74年度は、第1次オイルショック等の社会背景に屈せず、「不可能と思うな、先ずやろう」の素朴なスローガンの下に諸事業が推進された。仙台七夕まつりの中止論にもいち早く反対キャンペーンを実施、広報車を繰り出し、市民版のぞみを発行して広く市民に呼び掛けた。又、折からの改選期であった仙台商工会議所議員に19名の議員を輩出、地域社会に対しての発言力を高めることに成功した。

’75年度は、「厳しさと混迷の中に羽捧け、勇気と実力」のスローガンの下に、会員数も2百名を超すに至った。新しい市民社会創造に向け、教育問題を取り上げ、宇和島市との教師交換を実施、仙台市との姉妹都市提携の原動力となった。又、全国会員大会の誘致運動を展開、’77年度の開催権を獲得した。

創立25周年を迎えた’76年度は、藤崎三郎助初代理事長をはじめとするOB多数との協力の下、次なる25年に向けた一頁を記念式典で飾った。事業としては、「伊達政宗を語る」市民公開例会、自衛隊体験入隊、フィリピン・パンバドJCとの姉妹JC締結の仮調印、日本JC主催の業種別部会の集いの主管等を積極的に展開した。

’77年度は、第26回全国会員大会を主管、パイタリティと実行力に富んだ実行委員会は、沖縄地区会員大会をはじめ全国・地区・ブロックの諸大会にPR部隊を編成、10月15日8千余名の参加を得て、心豊かな素晴らしい大会として盛況裡に閉幕した。この金字塔は、新たな四半世紀の初年における大きな節目となり、今後の仙台JCの在るべき姿を方向つけるものとなった。

’78年度は、事業として「都市問題シンポジウム」の一般公開、「早期実現一東北新幹線問題」等、わがまち仙台を考える提言を数多く行った。

’79年度は、70年代の区切りの年として「ぶつけ合おう若さと情熱、創ろうあしたの道標」のスローガンの下、市民の足としてのパス路線問題を前年度に引き続き展開し、その結果循環パス路線の実現を見るに至った。本事業は、地区協議会の褒賞のみならず、日本JCでも最優秀都市開発賞に輝いた。

’80年度は、「燃やそう情熱、集めよう仲間、今こそ拡大の時」のスローガンの下、会員数の拡大をメインテーマに掲げ、75名もの新入会員を獲得した。14年ぶりに国内開催された第35回JCI世界会議大阪大会では、最優秀社会開発計画賞を受賞、3年間に渡った都市問題関連事業の集大成を実現することができた。

1981~1990

創立30周年を迎えた’81年度は、同記念式典の鼎談を基にした記念誌を発行、好評を博した。又、「地元美術文化に一石を」と銘打ち、地元出身の版画家、大泉茂基氏の作品60点を宮城県美術館に寄贈。又、全国会員大会では、市民に親しまれ12年目を数える七夕前夜祭が、お祭り推進賞の努力賞の栄に浴した。

’82年度は、「創始の情熱と伝統をふまえ、明日の仙台に今日の若い力を」のスローガンの下、「2001年我が都市仙台」と題し、経済・文化・教育・高齢化等の都市問題をテーマとした大シンポジウムを開催、渡辺大蔵大臣をはじめとする各界の著名講師を招鴨し、1千余名の参加者を得て大成功裡に終えた。

’83年度は、土光敏夫臨時行政調査会会長を迎えて「行革推進フォーラム仙台」を開催、2千余名もの参加者を得て行革とは何かを市民にアピール、大きな反響を受けた。「東北を世界の産業基地とする為に、次世代の産業を支える新技術セミナー」の開催、仙台市制100周年に向けた「駅東再開発計画」の提言、全国会員大会において最優秀青年会議所賞の褒賞を受ける等、輝かしい足跡を残した。

’84年度には、「仙台を国際文化都市とする為に」をメインテーマとした「’84仙台国際化文化会議」を開催、基調講演に安倍晋太郎氏を迎え、9百余名の市民参加を得て国際化推進の一役を担った。又、民間ユネスコ運動世界会議の前夜、西公園に於いて国際ふれあい広場、「文化とバザール」を開催、外国より来仙された方と仙台市民の直接の触れ合いを実現し、約5千名の参加者数を記録した。

’85年度は、「集めよう英知。注ごう情熱。来るべき21世紀に向けて」をスローガンに掲げ、JCIアジア太平洋会議(ASPAC)の誘致、教育改革の公開例会、又、初の試みとして、七夕前夜祭と、国連難民高等弁務官を迎えた国際ふれあい広場を2日間に渡り開催、国際化に向けた地方の在り方を多方面から捉え、バイタリティを持って行動した。

創立35周年を迎えた’86年度は、盛大な創立例会の開催に加え、10年ぶりの宮城ブロック会員大会を主管、光のイルミネーション七夕の製作、「JAPAN・トライアスロン仙台国際大会」の誘致と開催、交響詩 SENDAI『たゆとう時の音』の創作・上演、『明日への提言 PART2』の製作等、節目を飾る事業が目白押しの年となった。

’87年度は、18回目を迎える仙台七夕前夜祭を仙台七夕花火祭と改名。市民の声を集めた「仙台首都構想市民会議」の開催、第20回七夕書道展を記念したブラジルとの交換書道展の開催、アクアエイドキャンペーンと同テーマに則した講演会の開催と募金のユニセフへの寄贈、1613年の訪欧使節団を検証する『昭和の使節団』のローマへの派遣とローマ法王との謁見等、まさに国際性を加味した我が仙台のまちづくりの将来像を内外に発信した年となった。

’88年度は、遷都論が全国で巻き起こる中、村田元通産大臣をはじめ多彩な講師を招いたシンポジウム「21世紀の日本の首都を考える」を東京で開催。地方の会員会議所が国家観をテーマに掲げた希有な取り組みとして、東北はもちろん全国に波紋を投じ、仙台の名を大いに知らしめた。又、9月18日北海道地区白老JCと姉妹締結を調印、両地域の発展に向けた活動と今後の交流を誓い合った。

年号が昭和から平成へと代わった’89年度は、世界52カ国から参加者を預かった第2回国際アカデミーを主管、続く第39回JCI−ASPAC横浜大会では、韓国・西ソウルJCと姉妹締結の調印式を行った。市制百周年を記念して市内中高生20名を2週間の日程で「リバーサイド使節団」として米国に派遣。韓国の勤労青少年31名を受け入れた「21世紀友情計画」と、フィリピンの青少年11名を招鴨した「Touch our heart from SENDAI」を実施。国際文化都市としての未来像を力強く打ち出した。

’90年度には、翌年度に向けた40周年準備特別委員会や、「仙台、ローマ文化交流実行委員会」、6つの提言委員会を設置する等、未来志向を高める中、フィリピン/米国リバーサイド/タイ等との国際交流事業を推進させた。第21回七夕花火祭、第23回七夕書道展も多くの観覧者・参加者を記録し大成功を収め、システム・イノベーシヨンを合言葉に会務運営面でも公益法人会計の導入等をはじめ積極的な改革を進めた年となった。

1991~2000

創立40周年を迎えた’91年度は、21世紀に向けた新たなる方向性を模索する年となった。7月7日創立40周年記念シンポジウム「TOHOKU… 今、来たるべき時代の波音」を開催、東北地区内から集結したメンバーの活発な議論から地域の地位向上と発展を訴えるとともに、仙台市の姉妹都市(ミンスク/レンヌ/長春/リバーサイド/アカプルコ)との交流を促進。同時に会務運営面の見直しを諸規則・諸規程を中心に議論することで将来への提言集をとりまとめた。

’92年度は、5月に北九州で開催された第42回JCI−ASPACに全LOMメンバーで登録、移動例会を開催する等、同大会の「2001年度」の主管開催を目標に誘致運動の行動力を高めた。又、「SENDAIドリーム1992エスプリフェア」を実施、過去のまちづくりの提言を検証し、数多くの分科会を開催することで大きな足跡を内外に示した。同時に、例会の在り方等、メンバーの意識改革にも積極的に取り組んだ年となった。

’93年度は、6月6日市民広場で「国際ふれあいまつり」、第26回七夕書道展への中国吉林省の児童の参加等、国際交流の機会提供を促進。台北で行われた第43回JCI−ASPACでは、広く東北地区内メンバーに呼び掛け、B747型(ジャンボ)機をチャーター、総勢200名での参加を実現するとともに、この年のJCI世界会議では、香港のアイランドJCと姉妹関係を約束した。一方で、環境問題を子ども達に呼び掛ける「エコアカデミー」の開催や、政策レポートを藤井仙台市長に直接手渡す等、仙台(まち)づくりへの活動も充実させた。

’94年度は、JC運動とまちづくりが転機に差し掛かっている現状を捉え、「脚下照顧」の精神で活動に取り組んだ。第25回七夕花火祭を記念大会と位置付け、規模の拡大と多彩な事業展開を成功させるとともに、6委員会合同での「新しき杜の都シンポジウム」を開催し、内外に情報を発信した。又、盛岡での全国会員大会では副主管として設営・運営面に協力し、香港、アイランドJCとの姉妹締結の正式調印に際しては、協働事業として子ども達の写真展を早々と実施する等、JC間の交流活動にも新たなる一頁を飾った。

’95年度には、8委員会を組織したまちづくり研究で地元の地域貢献を図る一方で、阪神・淡路大震災の被災者支援にも積極的に活動。「阪神・鐘の鳴る丘リフレッシュキャンプ In仙台」では、兵庫県芦屋市から23名の被災児童を招き、大いに励ました。12月8日、日本JCの最終理事会では、JCI−ASPACの次回国内開催のBIDを仙台JCに決議、11年に渡る大会誘致活動の実を結ぶとともに、大きな転換期を支えた年となった。

’96年度には、創立45周年の節目となる「’96まちづくりフォーラム」を開催し、都市防災の議論と「仙台を愛する中学生会議」の二部構成で記念事業を成功させた。又、障がい者の意見交換会を開催し、互いの視点と夢を交わす他、時代のIT化に先駆けいち早くホームページを開設したり、ペーパーレス化を推進し新たなネットワークを構築したりした。第46回JCI−ASPAC金沢大会には、総勢200名以上のメンバーで参加、全国会員大会では、前年度の「大井戸端会議」が準グランプリを獲得した。

’97年度には、「これでいいのか仙台会議」での市民の意見集約を基にした「夢まちづくり in定禅寺」、バリアフリーを目的とした「地球市民ふれあい文化祭 PartⅠ、PartⅡ、中学生世代を対象とした「’97仙台中学生会議 PartⅠ、PartⅡ、PartⅢ」等、多方面に渡った事業展開を行った。また第27回宮城ブロック会員大会の主管開催の他、諸会議のペーパーレス化を実現、第28回七夕花火祭をインターネット上でライブ中継する等、斬新な取り組みを内外に示した年となった。

’98年度は、地域主権・市民主権型社会の創造を視野に市民やNPO参加型のまちづくりを唱えた「NPO・市民交流祭」や、授産施設サポートのための「杜の都ふれあい交流祭」、多様化する青少年問題を考えた「夢未来塾」を開催した。一方、第48回JCI−ASPACマカオ大会では移動例会を実施する等、国際的にも幅広く活躍。次年度日本JC会頭選挙では、仙台JCより出向の佐藤章治副会頭が立候補し、20年ぶりの会頭選挙が行われた。1,813票対1,520票の僅差で惜敗したものの、仙台JCの心意気を全国に示す結果となった。

’99年度は、市民とのパートナーシップの構築にJC運動の原点を見出し、毎回5百名の市民参加を記録した公開例会を計4回開催。第30回を迎えた七夕花火祭では、市民のまつりとしての位置付けを強化、市民ボランティアとの協力体制の構築や、「七夕ウォールアート」に取り組んだ。在仙の外国人と日本の子ども達との互いの理解と価値観の共有を狙った「グローバルジュニアトレーニングスクール」、街並みの散策を通じて世代格差を超えたパートナーシップを体感した「思いやり散歩道」を実施。翌年度、第52回 JCI−ASPACの国際BIDの採択に向け、インドネシア、バリ島や、フランス、カンヌでの国際会議にて誘致活動を大きく展開した。

2000年度は、美しいまち創りを市民と共に考えるシステム構築を新たなビジョンに掲げ、七夕花火祭の市民サポーターとの「七夕花火祭交流フォーラム」の開催や、プロジェクトアドベンチャー体験キャンプ、地元商庖街での職場体験を通じた地域とのふれあい方を提言した「ジュニアワーキング.com」の成功を実現した。又、「美しいまちを創りましょう」−1mの視線とともに−と題したビデオを企画制作、車椅子の目線でバリアフリーの必要性を内外に発信した。このビデオ制作のきっかけとなった伊藤清市氏は、日本JCのTOYP(The Outstand−Ing Young Persons)大賞を見事受賞。台湾、高雄市で開催された第50回JCI−ASPACでは、同大会の国際BIDの正式決定に際して藤井仙台市長、村松商工会議所会頭の臨席する中、2002年度主管開催を見事決め、15年間もの誘致活動に大輪の花を咲かせた。

2001~2010

2001年度は、まちのリーダーとなるべきひとづくり運動の展開、及び、第52回JCI−ASPAC仙台大会の成功に向けたPR活動を展開した。3月に創立50周年記念式典及び祝賀懇親会を開催し、関係者・支援者に対する感謝の意を表すとともに、更なる発展を誓い合った。5月には韓国の大郎市にて第51回JCI−ASPACが開催された。7月には中高生を対象に、親と先生という立場を理解するきっかけづくりとしての「ってゆ~か明日の仙台人フォーラム」をせんだいメディアテークにて開催した。第32回七夕花火祭では、直前に明石市での花火大会の事故があり、これまで以上に安全を重視した花火祭を実施した。

2002年度は、JCI−ASPAC開催年ならではの事業および運営方法への工夫を基本方針とし、17年間もの誘致・PR活動の結晶としてのJCI−ASPAC仙台大会の実施と、同大会を活かしたまちづくり・ひとづくり運動を展開した。5月までの前半は、LOMがJCI−ASPAC一色になり、大会スローガンである「HappIness SENDAI!」のもと、その成功に向けてメンバーが一丸となった。仙台に集うアジア・太平洋地域のメンバーが、新世紀に求められるであろう人類共通の目的「真のしあわせ」を社会起業家の観点から考える21世紀型の国際会議の在るべき姿を模索、又、メンバーの知恵と汗を結集させホスピタリティあふれる大会を目指して全体を組み上げた。大会登録は1万8名、総予算約4意円の大会は、5月17日、秋篠宮殿下同妃殿下のご臨席のもと、夢メッセみやぎにおいて約3千名の列席を記録する開会式でスタート。又、同日のウェルカムナイトは、東北地区協議会運営で開催し、東北の食と祭文化を参加者に堪能いただいた。翌日からの各種プロクラムでは、NOM会頭会議・総会においてITを活かした会議運営を考えペーパーレス化を導入、今後のJCI主催大会の新たな方向へ踏み出した。一方で地域との交流を目的に、アントレプレナーズ・プラザ、アジア・太平洋こども環境エネルギーサミット&スクール・ビジット、そして「ハピネス・ランタン」の3つの記念事業を展開。各国ナイトでは、大会本部ホテルにて6つのナショナル・ナイトを一堂に開催し、参加者が交流を深めた。又、青葉まつりに各国のメンバーが参加し、市民との交流を深める場面も演出するとともに、宮城ブロック協議会とOBの運営のもと企画・実施されたホスピタリティ・プログラムでは、参加者に地元みやぎを体感していただく機会を提供し、多くの仙台・宮城ファンを創出した。大会最終日、1千名が一堂に会しての晩餐会、コンフアレンス・ボール終了後には、OB主催の「ありがとうナイト」を開催、「しあわせ」ハッピを身にまとった内外の参加メンバーで会場があふれ、今後のJCI−ASPACのスタンダードとなるほどの大反響、大盛況を呈した。一方で、ASPACセネター・プログラムにおいても、ホスピタリティあふれる大会運営を行い、参加者に仙台(まち)と大会を十分に満喫していただくとともに、大会期間中には多くの日本JCプログラムも開催され、日本JCと実行委員会が一致協力して運営にあたり、大会を盛り上げる一役を担った。期間中の4日間は、我々にとってまさに格闘の日々であり、多くの市民サポーターを含めた実行委員会メンバーはOB、現役の別なく、お越しいただいた方々へおもてなしの気持ちを発揮した。仙台・宮城・東北の伝統・文化・産業をアジア・太平洋地域に発信し、子ども達を含めた市民と海外メンバーとの国際交流等、我々が目的とした全ての事業で満足のいく結果を収めることができたことは、この大会主管の経験を通じて、仙台JCのメンバーの一人ひとりがこれからの運動展開と事業活動への大きな財産を手に入れたといえよう。また、文部科学省が新たに制定した総合的な学習の時間への取り組みとして、環境をテーマに新エネルギーの未来を学級への訪問形式で紹介した事業、地域愛をテーマに地域共育の必要性を訴えた公開例会、企業人・家庭人・市民としてのメンバーの資質向上を目指した例会・家族会等、様々な事業も活発に行った。

2003年度は、”Challenge the next stage~「真のしあわせ」を追求し、「貢献する心」に目覚めよう~”を基本理念に、ASPAC仙台から次なるステージへと挑戦した1年であった。7月には、障がい者との電動車いすサッカーの交流試合を開催、公共運動施設利用上の課題を年度末に発行の観光・教育・福祉・経済の観点に基づく「仙台JCあしたへの声」と題した提言書に盛り込み、関係各所に配布をした。第34回七夕花火祭では、坂本サトル氏製作の「夜空に咲いた花」がテーマソングとして誕生。8・9月には、高校生世代の生き方開発の一環で、希望する職種が体験できる「しごと場ウルルン訪問隊」を実施、その報告会も盛況を極めた。10月には、「第19回全国JCサッカー選手権大会」を主管。全国から44チーム、883名のメンバーが仙台に集結した。又、同年はJCIが提唱する4つの機会を具現化すべく、メンバーの企業紹介WEB、「SJビジねっと」を仙台JCホームページにリンクさせ、11月例会では、メンバー企業のビジネスフェアを併設。32ブースが軒を連ねた。

2004年度は、“きらきらした「22世紀」を標携するJaycees−Another NOBlesse BOlIge−”をスローガンに掲げ、メンバーシップ向上と、JC運動の原点を見つめ、更なる推進を図った1年であった。2月には地元行政のTOPを講師に迎え、「わが仙台(まち)の行方」というテーマで講師例会を開催、職場訪問事業「しごと場ウルルン体験隊 2004」では128名もの高校生世代からの大反響で体験先企業41社を訪問、成功裡に終えた。8月の第35回七夕花火祭では、ガイドブックを作成して新たな8協賛の形を模索した。地域における子育て支援施設の必要性を探った「地域版のびすく」を仙台市立長町小学校の協力にて開催し、120組以上の親子が会場を訪れ、その報告を11月に在仙の教育・福祉関係者80名が参加した公開例会で行った。これら3事業の成果を事業報告書「Link with the Future~共育と協働の軌跡と検証 2004~」にまとめ、政策提言につながる今年度の成果を外部発信した。10月の全国会員大会では、前年度の「障がい者スポーツ」の受入実態を調査研究して提言した事業が、日本JC褒賞福祉関係部門で優秀賞を受賞したほか、本年度は日本JC委員長2名をはじめとする多くの出向者を輩出、仙台JCの活躍を全国に示した年でもあった。

2005年度は、“今こそ地域の力を引き出そう~心豊かな社会への鍵は目の前にある~”をスローガンに、青少年育成、地域活力・国際力・人間力開発を主眼に据えて事業を行った。環境教育事業「ホップ・ステップ・ナチュラルジャンプ」は、循環型社会の必要性を子ども達に訴える学習教育を行った。仙台に誕生したプロ野球球団が与えた仙台への影響を探るべくスタジアムでの例会を開催。3年目を迎えた「しごと場ウルルン発見隊」では、単なる職場訪問ではなく、仕事を通じた社会貢献の認識を高校生世代に訴えた。第36回七夕花火祭では、有料観覧席を設置し、新たな運営手法を形成した。特別公開セミナー「あなたはもうリーダー!~今こそ地域の力を引き出そう~」を開催し、市民と共にリーダーシップについて学んだ。一般公開とした11月例会には、仙台市の友好都市である中国長春市の中華青年聯合会メンバーを招聴し、「仙台の今後の国際力発展を考える」と題したフォーラムを開催。また、本年度はJCIにアジア太平洋開発協議会評議員と、日本JCに委員長を各1名、宮城ブロック協議会に会長を輩出し、多くの出向者が海外や全国各地で活躍した。

2006年度は、創立55周年の節目にあたり”Go,Go,SendaI!”をスローガンに掲げ、地域の活力・国際力を促進する事業を実施した。8月には総勢14名で長春市を訪問し、長春市政府関係者や長春日本商工会の方々と会談をした。前年に引き続き長春青年聯合会のメンバーとも意見交換をし、今後も交流を促進することを確認した。9月に開催した「ビジット SENDAI!!新たな魅力発見フォーラム」では、仙台新港を中心とした海浜部を新たな観光資源として開発する必要性を訴えた。第37回七夕花火祭では、それまでより多い1万6千発の花火を打ち上げた。10月には第5回全国会員大会が郡山JC主管で開催されたが、副主管の仙台JCはこの大会を移動例会とし、多くのメンバーが運営スタッフとして参加することで支援を行った。11月にソウル市で開催された世界会議においては、本年度JCI副会頭として出向の仙台JCメンバーが2007年度のJCI財政顧問に任命された。日本JCの褒賞においては、人間力大賞では環境大臣奨励賞を立岡学氏、会頭特別賞を荒川静香氏、全国会員大会では環境開発部門で前年開催された「ホップ・ステップ・ナチュラルジャンプ」がそれぞれ受賞した。又、JCI−ASPACが高松で開催され、海外の姉妹JCとの交流を盛んに行った年でもあった。

2007年度は“個人と組織が創る仙台の(まち)JCバリュー~市民の還しさと公共心あふれる社会の実現に向けて~”をスローガンに様々な事業を実施した。3月にはアカデミー賞を受賞した映画「不都合な真実」の鑑賞優待クーポンをASPAC 5周年の関連事業として中学生に配布し、確かな世界観を醸成する機会を提供した。5月には第52回JCI−ASPAC仙台大会5周年記念レセプションを開催し、JC運動の意義、仙台JCの存在価値を再認識した。第38回七夕花火祭は昨年同様1万6千発を打ち上げ、大変多くの人出で賑わった。また今年は公益社団法人化を視野に入れ公開例会を積極的に展開し、4月はAEDを軸に「救急法講習会」、7月は「体験!障がい者スポーツ」~築こう!!心のバリアフリー~、10月は 「文化としての仙台弁~もっと仙台(まち)を好きになるために~」11月は「考えよう躾、深めよう《粋》」を行った。またこの年も地震の多い年であり、能登半島地震、新潟中越沖地震に対して街頭での義揖金募集の活動を迅速に展開し、9月例会では「仙台JC災害対策シンポジウム」を開催した。11月にトルコはアンタルヤ市で開催された世界会議のアワードにおいて、本年度JCI財政顧問として出向の仙台JCメンバーがJCI会頭特別賞並びに年間最優秀理事賞を受賞した。

2008年度は、“しあわせの花”を咲かせよう~青年らしく、元気に活き活きと~をスローガンに掲げ、地域に根ざした運動を積極的に展開し、大きな成果をあげる一方で、担いを持たせた会議体を設置し、1年という時間を費やし、公益社団法人格取得へ向けての調査、準備を進め、組織体制の見直しと整備に着手し、念願であった12月1日の申請を実現させた。6月には、第38回宮城ブロック会員大会が開催され、11年ぶりに仙台JCが大会主管を務めた。事業への公益性がさらに求められる今後を見据え、勾当台市民広場を会場として、本大会はより開かれた地域市民とともに創る会員大会を目指した。当日は、「岩手・宮城内陸地震」が発生し、一部地域に甚大な被害をもたらしたが、みやぎJCのメンバーシップを集結させ、誰の記憶にも残る大会となった。第39回仙台七夕花火祭は、地下鉄東西線工事の影響を受けながらも、“しあわせ”をテーマに実施し、本年も仙台の夜空に大輪の花が咲き乱れた。2年ぶりの平日開催であったが、仙台七夕まつりの前夜祭に相応しい賑わいを見せた。8月には、JCだからこそ実現できた体験型青少年育成事業「2008ドリーム・キッズ・ゴルフ In 仙台~さあ、夢・ティアップ~」を実施した。泉国際ゴルフ倶楽部の全面協力と総勢10名のプロゴルファーの賛同により実現したこの事業は、子ども達が身につけなければならない道徳心や社会規範を、マナーやルールを第一とするゴルフの経験を通して培う貴重な機会となった。10月には、来年で40回を数える仙台花火祭について、現状で抱える問題点を認識し、今後の可能性と方向性を模索する検証事業を実施した。そして本年は、会員開発委員会の尽力により、仙台JCのこれからを担う43名の若く逗しい力が加わった。入会者数としては2002年JCI−ASPAC仙台大会以来の入会者数としては記録に残る実績であると同時に、仙台JCの新しい時代の幕開けを象徴するかのようであった。

2009年度は、“Let’s challenge with the sprit”~愛することからはじめよう強く逗しく~をスローガンに掲げ、愛する人のために。愛する仙台のために。仙台JCだからこそできることは何かを考え運動を展開した。第40回仙台七夕花火祭は「RIng of Love~愛で仙台が繋がった日~」をテーマに1万6千発の花火を夜空に咲かせ、約45万人の観衆に楽しんでいただいた。8月には2回目となる「2009ドリーム・キッズ・ゴルフ」~羽ばたけ未来のプロゴルファー~を昨年同様の趣旨で実施しつつ、本年は日本JC倫理道徳ショートプログラム「学の夏休み」を事前説明会で上映し、また地元宮城の産物を知ってもらえるよう宮城の食材を使用した昼食を提供するなど、新たな試みが行われ前年よりさらに進化した大会が実施された。また秋には「ケータイでパシャ!SENDAIの身近な魅力と問題点~あなたのケータイフォトで、もっと魅力あるまちに変わるかも~」と題し市民一人ひとりの目線からまちの魅力と問題点をケータイフォトで撮影しそれを携帯メールで投稿してもらう事業を実施した。集まったケータイフォトは報告提言パネルにまとめ仙台市役所ロビーに展示し、その後仙台市に報告書として提出させていただいた。また本年も公開例会を数多く開催し、第5回例会の仙台における子育て環境の問題点を取り上げた『仙台から日本を変えちゃおう!!~ワークライフバランスの実現で安心して子育てできる街へ』では仙台市が抱える待機児童問題を取り上げ、安心して子どもを生み育て仕事ができるバランスの取れた地域になるための考える場とし、その例会で得た意見やアイデアを12月に提言書にまとめ仙台市に提出した。また第4回例会「第1印象で決める!高感度アップ作戦!!~6秒で始まるドラマ~」では一人でも多くの市民に参加してもらうべく広報活動に力を注ぎ近年の公開例会では最大の約200名の一般参加者が集まったことを特筆しておく。

2010年度は、“No HOPE,No FUTURE!~品格を持って、厳しく、楽しく~”をスローガンに掲げ、社会の隅々まで希望の光を届かせるための運動を展開した。未来の希望である子どもたちが健全に育つことが「明るい豊かな社会」の実現のために必要だと考え、学校と地域社会の問題や、児童虐待など、子供たちを取り巻く現代社会が抱える問題を改善するためには何が必要か、また先進企業から見た仙台の将来性や魅力を経済的な視点からの講演などを聞くことで、市民の皆さんと一緒に自分達のまちの将来を考える機会となり、行動を起こすことが急務であることを認識した。また一方では障がい者の雇用の実態を調査し、企業側と双方の観点から職場環境を見つめ直すために課題と問題点を探った。今回で3回目となる 「2010ドリーム・キッズ・ゴルフ」は拡大・発展を探り実施したが、猛暑の影響等で想定していた規模には至らなかったが、今後への課題を明確にすることができた。第41回となった仙台七夕花火祭は厳しい経済状況のなか、例年通り16.000発を打ち上げ、45万人の観客と仙台の夏の夜空に未来への夢を思い描いた。記録的猛暑の8月23日には、「第64回日本JCじゃがいもクラブ全日本選手権大会及びシニア選手権大会」を主管LOMとして実施した。地区予選を通過したプレイヤーがレインボーヒルズゴルフクラブで腕を競い合った。参加者には仙台JCらしい「おもてなし」と、仙台という「まち」の環境の良さに触れていただけたことだろう。東北青年フォーラムは泉JCが主管のもと開催され、仙台JCも副主管として、当日の設営やブース等にメンバーを配置し、開催のサポートをした。大阪で開催されたJCI世界会議には国際の機会に触れるチャンスと捉え、移動例会として参加し総会や各種ファンクシヨンにおいて海外のメンバーと交流を深めた。姉妹JCとの交流も積極的に実施し、合同LOMナイトや式典への参加等で友情を深めた。本年3月24日に宮城県から公益社団法人の認定を受け、4月1日に登記を申請し「公益社団法人 仙台青年会議所」がスタートしたことを報告しておく。

2011年~

2011年度は、未来へ向けた一歩を踏み出し さあ いこう!~すべては子どもたちの笑顔のために~をスローガンに掲げ、「こころの豊かさ」を育むことが「真のしあわせ」に繋がるとの信念のもと、子どもたちの笑顔溢れる地域社会実現のための事業、例会を企画・実施した。また、本年は仙台JC創立60周年の節目の年であり、1月に60周年記念式典並びに新年記念式典を実施した。式典には、仙台市長、仙台商工会議所会頭、日本JC会頭、姉妹JC、長春市青年聯合会をはじめ470名を超える来賓を招き開催された。2月例会は、地域コミュニティと行政のあり方を考えるために「仙台コミュニティビジョン」について学んだ。そして、3月15日には60周年を記念した創立例会を企画したが、3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。我が国の歴史に永遠に刻みつけられる未曾有という言葉ですら言い表せない大災害であった。多くの現役メンバー、OBも被災したが、「より過酷な状況にある被災者のために」との想いで直ちに災害対策本部を設置し、仙台市内に限らず救援、復旧、復興活動を行った。物資支援、炊き出し活動、雄勝小中学校への給食支援等は多くの被災者を助け、各方面から高い評価を受けた。5月12日、合同委員会という形で発災後初めてメンバーが一堂に会した。まだまだ、落ち着かない時期ではあったが、理事長の強いリーダーシップのもと「震災支援活動に全力を挙げること」「できるだけ早く通常の例会や事業を再開すること」を意思統一した。7月には発災後初の例会「我らJAYCEE!!広げようこの想い!」を開催し、始まったばかりの復興活動を率先して行うために、日本JC会頭を歴任し、阪神・淡路大震災時には、復興対策プロジェクトチーム座長代理を務めた鴻池祥肇先輩から講演いただいた。8月5日には仙台七夕花火祭を開催し、多くの市民の皆様や関係各所の力のもと例年と同規模の1万6千発の花火を打ち上げた。打ち上げ会場近くには「粋シート」を設け、被災した宮城県沿岸部の子どもたち約300人を招待した。9月にはPTSDが発症しやすいといわれるこの時期に、音楽が人へもたらす効果を学び、元気になっていただきたいとの想いから公開例会『笑顔あふれる音楽会』~音楽で繋げるみんなの粋~を開催した。10月には「スポーツから生まれる笑顔と粋!」と題して「仙台 89ERS」の全面協力のもと子どもたちには明るい未来を、父兄には子どもとの粋について考える機会としての公開例会を開催した。11月には「あの時ぼくたちが大人だったら」~地域を守った活動に学ぶ~と題して、震災直後から支援活動を積極的に行ってきた方々から子どもたちに講演いただいた。市民の生活環境も一変した1年間であったが、同時にJC運動の必要性、創始の気概を感じさせられる年であったことを報告する。

復興元年と称された2012年は、震災時に国内外問わずいただいた多くの支援に対して感謝の想いを発信し、市民の中に感謝の想いが溢れるまちづくりと、長期間に亘る復興を達成するために、被災者自らが立ち上がることの重要性を訴えるために、次代を担う子どもたちの自立を促す運動を展開した。震災から1年目を迎える3月11日に、「3・11わたしたちは忘れない〜世界中に伝える“ありがとう”~」と題して、3,500個を超える紙コップに市民の感謝の想いを記載していただき、紙コップの中にロウソクの明かりを灯し「ありがとう」の文字を浮かび上がらせた。その炎は復興への燈火となり多くの市民から共感をいただいた。5月中旬から7月中旬にかけて「感謝の想い溢れるまちづくりプロジェクト」と題して、市民の皆様から感謝の想いを記載していただいた携帯ストラップを作成し、各種大会を通じて世界中に配布した。同じく市民から感謝をテーマにいただいた詩を詩集として発信するとともに、坂本サトル氏の協力をいただき楽曲を作成し幅広く発信した。8月5日には「ありがとう~感謝の想いを胸に新たな仙台(まち)の創造へ向かって~」をテーマに第43回仙台七タ花火祭を例年通り開催し、新たな試みとして、市民広場を会場に3,000個の風船に感謝の想いを短冊に込めて花火と共に大空へと打ち上げた。青少年事業は、5月から10月の長期に亘り高校生の自立をテーマに事業を展開した。5月例会「わたしたちからの発信 あらたな仙台の未来~高校生ゆめサミット~」やその後のディスカッシヨンを通じて参加いただいた44名の高校生が中心となり、被災地支援や地域貢献のあり方を考え「高校生ゆめフェスティバル」を開催した。当日は一般参加と高校生180名を加え市民や仮設住宅の入居者50名に対し様々な事業を実施した。その後参加した高校生が中心となり「高校生連絡協議会」が起ちあがり自立した活動を続けるきっかけとなった。さらに、昨年実施した被災地への支援事業がASPAC香港大会と世界会議台北において褒賞をいただいた。また、東北地区協議会と宮城ブロック協議会に対し会長を輩出し、仙台だけに留まらず宮城、東北の復興へも大きく貢献したことを付け加える。

2013年度は、DIscover Now, for thr future!~すてきな夢・すてきな仙台の実現へ~をスローガンに掲げ、私たちのさらなるJC運動の推進によって“すてき”で活力ある仙台を実現するために運動を展開した。昨年に引き続き3月1日に「キヤンドルナイト2013 かがやけ仙台~震災の記憶を胸に~」と題し、県内外のボランティアの協力のもと復興へ向けて新たなまちを創造するための仙台の夢を発信した。当日は約2000名の市民が勾当台公園市民広場に集い、震災からの2年目の節目にそれぞれ想いを載せた紙コップをキャンドルの燈火に照らし「かがやけ仙台」のメッセージを発信した。前日の3月10日には、日本JCの第142回総会と復興創造フォーラム2013「決して忘れない~復興の先にある未来を見据えて~」がゼビオアリーナ仙台で開催された。5月には「無限の可能性への POSITIVE CHANG!」と題して例会を開催し、JCIの国際の魅力をあらためてメンバーに周知し、今後開催される国際会議への参加促進につなげた。6月には、市民協働をテーマに「あなたの気づきが未来の築き」と題した公開例会を開催し、まちが抱える課題を解決するために市民協働のあり方について理解を深め、当事者意識を高めることの重要性を伝えた。7月には、任期満了に伴う仙台市長選挙を前に2名の立候補表明者に参加いただき泉JCと共催で公開討論会を開催した。インターネットを利用した選挙運動の解禁に伴い討論会の動画配信も行った。6月から11月にかけて、すてきなまちを考えよう年間として、「ゆめ☆まちプロジェクト~みんなのまちへの想いをカタチに~」と題した事業を開催した。「まちの好きなところ~ずっと残したいまちの宝物~」をテーマとした、絵画・写真・川柳を公募し、市役所、藤崎への展示や宮城交通バスに作品を掲載いただいた。県内外から500名を超える方々から応募があり、11月の公開例会において表彰式を執り行った。積極的に企業協賛を募るなど多くの市民を巻き込む手法を用いた画期的な事業であった。7月から8月にかけて、まちの魅力や可能性を学び郷土愛を醸成するために、「すてきな仙台の創造へ向かって~歴史を紐解き明るい未来へつなげよう!!~」と題した事業を行った。仙台市博物館や仙台城跡、瑞鳳殿で参加者が仙台の歴史を紐解き、仙台なびっくにおいて、参加者が過去から現在、そして未来に向けた仙台を発信した。600名以上の市民の方が本事業に参加いただき、すてきな未来の仙台を考える契機となった。8月5日は例年通り、「新たなおもいで すてきな未来へ」をテーマに開催した第44回仙台七夕花火祭を開催した。昨年の事業が契機となり発足した「高校生連絡協議会」が西公園のイベントブースを担当するなど企画段階から市民パートナーと積極的に連携した。打ち上げ直前まで雨に見舞われたが、カウントダウン直前に奇跡的に雨が上がり滞りなく花火を打ち上げることができた。地下鉄東西線の工事に伴う次年度以降の打ち上げ場所の検討についても、関係各所との協議を重ね一定の方向性を見出した。10月には「宮城を食べよう! ありったけ宮城自慢レシピ大募集!」と題した公開例会を行い、市民から宮城の食材を用いたレシピを公募し、募集したレシピについては市内小中学校や道の駅等に配布を行い、さらに飲食店では実際にレシピを使用したメニューも提供いただくなど、様々な方面で宮城の食の魅力を発信した。
震災から2年を迎え、解決しなければならない様々な課題がある中において、メンバーと市民とが協働し、すてきなまちへと発展をめざした年であった。

2014年度は、Image of HappIness SendaI~青年として、惑わず、憂えず、恐れず~をスローガンに掲げ、中国古典の論語にある三徳「智・仁・勇」の理念で、しあわせな地域社会を実現するための運動を展開した。震災から10年後の2021年の仙台が理想とするまちへと復興を成し遂げ、しあわせな未来を心に描き、さらなる明るい豊かな社会の実現へと導くために、「LOM中長期ビジョン」の策定をした。社会・個人・国際の分野で構成されたこのビジョンは「しあわせを共感できる仙台」の実現に向けて、今後の運動の道標になるものである。2012年からの継続事業として、3月1日に「キャンドルナイト 2014~しあわせな黄色いハンカチプロジェクト~」を実施した。災害時に黄色いハンカチを掲げることで身の安全を知らせ、防災意識を高める運動と共に、震災を忘れることなく希望に満ちた未来を思い描き、互いを思い遣る気持ちや人と人の繋がりを再確認し、「しあわせな仙台」をメッセージとして全世界へ発信した。後にこの事業は、JCI−ASPAC山形大会及びJCI世界会議ライプチヒ大会で、BEST LONG−TERM COMMU−NITY PROGRAM(最優秀LOM長期的地域社会開発プログラム)を受賞した。対内の例会としては、5月に「ならぬことはならぬものです」、什の錠から学ぶ「~惑わない人になるために~」をテーマに、曾津藩校日新館の論語教育を基本とした心得を学んだ。また7月例会では、歴代理事長4名から生で感じる「真のリーダー討論会」を開催し、より身近な「真のリーダー」を肌で感じることができる機会となった。6月には、JCI−ASPAC山形大会の開催にあわせ、姉妹JCメンバーも招いての移動例会を実施した。JCI−ASPACの意義や目的、またアジア太平洋地域のメンバーとの友情を深める重要性について学び、国際会議の各種ファンクションで活用可能なコミュニケーションツールなど利用し、アジア太平洋地域のメンバーとの積極的な交流に繋げる機会とした。6・7月には「地域つながりフェスティバル~共育っていいね!」と題し、市内小学校で事業を開催した。「共育」の実践を通してしあわせな未来の仙台をイメージし、親子の触れ合い、地域の人々との交流へ大人も積極的に関わり、大人と子どもが共に学び育つ機会とした。事業の成果を受け、11月には「共育でつながろう!地域・家庭・学校~子どもたちの未来をしあわせに~」と題した公開例会を開催し、家庭・地域・学校が三位一体になって実践した共育について、有識者自らの取り組みや経験を交えてデイスカッションを行った。8月には「結ぶ~想いをつなぎしあわせな未来へ~」をテーマに、第45回仙台七夕花火祭を開催した。本年は地下鉄東西線工事に伴い打ち上げ場所が東北大学構内へと変更になり、予算面や警備面で多くの課題があったものの、関係者並びに地域の皆さまのご協力のもと、例年通りクリーンで事故のない花火祭となった。9・10月には、昨年に引き続き地域の魅力の発信のため「ゆめ☆まちプロジェクト~CONNECT地域のたから~」と題し、絵画・写真・川柳を公募する事業を行った。県内外から昨年を超える方々から応募があり、10月の公開例会において表彰を行い、併せて山本寛監督をお招きし地域の魅力を発信する手法について、対談を通じて発信した。11月には、衆議院解散に伴う総選挙を前に、泉JCと共催で宮城1区、宮城2区の立候補表明者を招いて公開討論会を開催した。震災から3年が過ぎ、風化の防止や防災意識の向上のために、近年さまざまな運動を発信し続けたことによるアワードの受賞は、しあわせな未来の創造に向かって大きな足跡を残した。そして仙台JCの今後あるべき姿を方向づける「LOM中長期ビジョン」は、今まで以上に地域発展のための運動展開を期待し、本年の報告とする。

2015年度は和敬清寂~しあわせを実感できる仙台に向かって~をスローガンに掲げ、和敬清寂の精神を持ってJC活動に取り組むことで身近な人たちとの信頼関係を構築していき、活動を理解していただくことで意識を変革し、それがやがて家庭や学校、職場や地域に広がり、お互いを尊重し合う人たちが増えていくことによって争いや蟠りが減り、皆がしあわせを実感するまちが実現されると確信し、活動を行った。3月11日にキャンドルナイト2015~しあわせな黄色いハンカチプロジェクト~を実施した。多くの市民から寄せられた「しあわせコップ」に灯したキャンドルで市民広場に「つながろう」の文字を浮かび上がらせ、お互いに支え合うことの大切さを伝えた。また、同日に市内中心部の商店街のご協力により店頭に黄色いハンカチを掲げていただいた。青少年育成事業として仙台JC寺子屋~思いやりと感謝の気持ちを学ぼう~と題して、安岡定子先生をお招きし論語教育と素読を軸に相手を思いやり敬う、和の精神の重要性、人としてのあるべき姿や石を親子が一緒になって真剣に学ぶことで日本人の精神性を伝えた。また、仙台JC親子塾~今一番受けたいこころの授業~を開催し、様々な手法で社会性を学ぶ機会を提供した。まちづくり事業として世界から愛される仙台をめざし、まちの魅力協働発信プロジェクト~Together in SENDAI~を2部構成で行い、次世代を担う学生と仙台に住み暮らす外国人を集い、伊達武将隊による英語での演武を通して外国人にも分かりやすく仙台の歴史を伝え、スズメ踊りを通して仙台の文化を体験していただいた。その後に開催したグループディスカッションでは、お互いの文化の違いを理解し相互理解を深めた。また、事業外活動では身近に存在するまちの魅力を実際に体験していただき、「あなたが仙台のPR大使」として、グループごとにまちのキャッチコピーを考え、一冊の冊子に纏め、まちの魅力パンフレットを作成し配布した。5月には中国の長春市を訪問し、奥山仙台市長よりお預かりした親書を長春市外事弁公室へ届けるとともに、長春青年聯合会と会談・交流会を行い、国際交流を目的とした青少年育成事業の可能性について会談を行った。8月5日には46回目となる仙台七夕花火祭を実施し、テーマを「想いあい~しあわせを実感できる仙台に向かって~」と題し、市民の皆様とともに想いをひとつにすることでまちを愛するこころを醸成し、安全でクリーンな花火を通じて、市民の皆様がしあわせを実感できることを目的に実施した。本年は日本・仙台の文化を見直し和のこころ・文化を育み、和敬清寂の精神を日々追求し市民一人ひとりが多くのしあわせを実感できる仙台に向かっていると確信できる年であった。

2016年度は、未来を照らす光輝の輪を広げよう~仙台を光り輝かせるのは我々、青年の責務である~のスローガンを掲げ「しあわせを共感できる仙台」の実現を目指すと共に、東日本大震災が発災してから5年目の節目を迎え、目に見える復興から面に見えない真の復興とはどうあるべきかを考え運動を展開した。まずは、3月11日にキャンドルナイト・しあわせの黄色いハンカチプロジェクトを実施した。当日は、安倍晋三首相夫人の昭恵氏にご臨席賜り、共に本事業の目的である防災・減災に強いまちづくりへの取り組みを広く発信することができた。また、青少年育成事業では、8月に小学4年生~6年生を対象に国立花山青少年自然の家で仙台JC未来塾~子ども体験キャンプ~を実施した。2泊3日のスケジュールで行われ、青少年自然の家では自然体験活動や徳育ゼミナール、論語塾を経験し、グループ学習などを行い、地域のたからである子どもたちの生き生きとした笑顔に、すべての人がしあわせを共感することを図った。8月5日には、第47回仙台七夕花火祭を実施した。本年は、「きらめき~笑顔あふれる未来へ~」をテーマに据えた。地下鉄東西線開業にともない地下鉄運行中の打ち上げとなり、関係各所の多大なるご協力をいただいた。そして、8月13日には香港アイランドJCの50周年記念式典に参加した。式典では姉妹締結の再調印をするなど、事業を実施し改めて交流を深める機会となった。さらに、8月19日パラニャーケ・パンバドJCの50周年式典に参加した。外部資金を集めて小学校に雨具をプレゼントするLOMの事業に参加し、学校に通う事ができない子どもが沢山いるフィリピンの現状を知ることができた。式典の翌日にはJCIフィリピン本部を訪問し、会頭にお会いする機会にも恵まれ貴重な国際交流の場となった。また、10月15日、16日の2日間には第32回全国JCサッカー選手権大会を仙台JC主幹もと実施した。全国から約1,000名が来仙するとあって、メンバーが一丸となって大会の成功に向けて運営した。11月の第12回例会では、国際の機会の魅力を再認識し、積極的に活動していく機運を高めるため、日本JC第64代会頭柴田剛介君にご講演いただいた。仙台JCは66年目を迎え、震災復興、地域の発展、会員の指導力開発及び国際社会への理解を通じて国家と世界の繁栄と平和への寄与のために活動した年であった。

2017年度は「やさしく、強く~未来へ伝えるメッセージ~」のスローガンを掲げ、相手への思いやりのこころ「やさしさ」と、他の誰かのために率先して行動する「強さ」。このやさしさと強さを持って、仙台市民の皆様とともに、私たち仙台JCメンバー一人ひとりが行動することにより仙台がしあわせな未来を実現できると確信し、1年間活動した。震災関連の事業においては、震災の風化防止や生かされた命に感謝する「キャンドルナイト2017」、防災・減災の取り組みが進んだまちを実現するために「黄色いハンカチプロジェクト」を実施した。特に震災から6年が経過し、徐々に震災を経験していない世代が増えてくることが懸念されるため、「震災を知らない世代を作らない」を震災関連のテーマに掲げ、子どもたちに対して震災のことを少しでも知ってもらえるように、誰でも気軽に震災復興に関われる事業を構築し、また学校の授業の一環として(北六番丁小学校、七郷小学校)取り上げていただいた。また、仙台市の方向性でもある「インバウンド」について取り組む。これから交流人口の増加が仙台にとって課題になることを見越し、未来ある若者たちと一緒に取り組み、交流人口の拡大を目的とした事業「はばたけ!大学生海外使節団~仙台台南交流の懸け橋となれ~」を実施した。仙台市の若者と台南市(台湾)の若者が国際交流する機会を創出することで、お互いのまちにとって有益な、未来へのかけはしとなる事業となった。そして本年度は「広報」について力を入れた。これは、我々JCが良い取り込みを行っても、広く一般に伝わらなければ意味が無いと考え、今年1年間を「JCブランディング年間」と位置づけ、JCのブランド力を向上させるべく、メディアやSNSなどを活用したクロスメディア戦略を実施した。常にブランディングを意識し、より多くの方に目を向けてもらえるような仕組みを構築した。広報誌「のぞみ」においては月刊誌化に成功。毎月タイムリーに仙台JCの活動を発信することができた。また、仙台JCのファクトブックを作成し、常に仙台JCのことを誰でも紹介できる仕組みを構築した。さらに、仙台JCの公式FBにおいては、ファン数(いいね数)が日本全国LOMで第1位となった。仙台を取りまく環境が目まぐるしく変わる混沌とした時代の中で、改めて仙台JCの果たす役割が具体的に見えた年でもあった。JCが持つ無限の可能性を信じて67年目を迎える仙台JCにバトンを渡すことができ、これからも震災復興や国際社会の中での仙台の活躍の一役を担う団体になっていく確信を持つことができた1年であった。

2018年度は、「IMAGINATION〜思いやり溢れる仙台(まち)の創造〜」をスローガンに掲げ、想像力を高めて思いやりを持ち、相手に寄り添い行動することでメンバー一人ひとりが、まちやひとの「しあわせ」を実現できる運動を展開した。
防災都市仙台確立事業として、震災から7年が経過し、時間の経過とともに日常を取り戻してきた今だからこそ、震災を経験した私たちができる未来へ向けたまちづくりを推進するために「防災学生サミット〜108万人の思いやり溢れるまち〜」と「しあわせな黄色いハンカチプロジェクト2018」を実施した。また、防災・減災の意識と対応能力を高め、公助・自助・共助が有機的に作用する地域づくりを目指し、地域防災事業を推進する学生(仙台市2校、多賀城市1校、神戸市1校、熊本市2校)にご協力いただき、震災の風化防止と防災への理解を深めるとともに、「防災の取り組みへ対する市民参画」をテーマに、学生対談「3・10防災学生サミット」を開催し、仙台(まち)の新たな価値として育む防災文化の重要性と現状課題をまとめ、行政とともにメディアを通じて広く発信した。
また、仙台市のインバウンド需要が、全国的な流れから大きく取り残されている中で、行政や市民、他団体などを巻き込んだ地域協働による訪日外国人が集まる魅力的な観光地域づくりを目的とした事業「Welcome to Sendai プロジェクト」を実施した。地域経済を活性化させるために、横丁をモデルに行政や関係団体と連携し、市民・横丁事業者・仙台在住の外国人・仙台JCメンバーが協働しながら、外国人の受け入れ環境の整備や発信に取り組み、新たなコミュニティを創出することができた。
6月の第6回例会では、2011年度JCI会頭を務められた原田憲太郎先輩にJCI会頭をご経験された見地よりご講演いただき、JCの独自性と世界に広がるネットワークを活かした地域発展に対する認識を深めるとともに、JCの価値を学ぶ機会となった。
8月5日には、「彩り〜笑顔があふれる仙台(まち)へ〜」をテーマにし、関係各所のご協力を頂き16,000発の花火を打ち上げ、第49回仙台七夕花火祭を実施した。
そして、9月には、生活の中における実体験や人との繋がりを通じた豊かなこころを育む機会が減少している現在、子どもたちが思いやりのこころを持った人間性や社会性豊かな人財として育つ直接体験の機会が必要と考え、七北田小学校を会場に子どもたちに障がい者体験をしてもらい、青少年育成事業として「仙台JC思いやりのこころ塾」を実施し、思いやりのこころを育む機会を創出した。
さらに、総会にて、LOM中長期ビジョンが掲げる2021年「しあわせを共感できる仙台の実現」に向けて将来的に大会の誘致を行う決議を取り、国際都市仙台に向け、新たな1歩を踏み出した1年になった。また、40人の新入会員の入会を実現。会員の拡大は組織全体で取り組む必要性を訴え、次代を担う人財を1人でも多く創出する継続的な会員拡大基盤を構築し、「会員拡大」に力を入れた。
本年度の仙台JCは、想像力を高め、1人ひとりが互いに心を寄せ合い、思いやり溢れる多くの市民とともに新たな一歩を踏み出すことで、人財や組織、そして地域が成長し、希望に満ちたしあわせを共感できる仙台を実現できると確信した1年であった。

2019年度は、「感謝の心が漲る仙台(まち)の創造に向かって〜守破離の精神を胸に〜」をスローガンに掲げ、メンバー一人ひとりがあたり前と感じていることへの「感謝」の心と未来に向けての「思いやり」を持ち、市民の皆様と未来を見据え共に行動していくことで、誰もが夢や希望に満ち溢れたしあわせを共感できる仙台(まち)を実現するために、1年間運動を展開した。
まずは、2021年の開催を目指す国際アカデミーに向けて、市民の国際意識の高揚を図るために、仙台市在住の留学生と連携し、仙台市内の小学校(6校)を対象として、子どもたちに世界との繋がり、相互理解の重要性を認識いただくことを目的に「仙台JC Jr.グローバルネットワーカー」を実施した。また、行政をはじめとする関係各所に開催によって、齎される社会的波及効果等の優位性を提示することで、開催に向けた関係各所との連携体制の構築を図った。また、第50回の節目となる仙台七夕花火祭においては、近年、打ち上げ会場の流動化、打ち上げ環境の変化に伴う費用の増加等の多くの課題が山積する中、関係各所の協力のもと、安心安全でクリーンな花火祭りを実施するとともに、以降の恒久的な花火祭の実施に向けた連携体制を確立した年となる。そして、まちづくりにおいては、2015年に仙台で開催された第3回国連防災世界会議において採択された、国際的な防災の取り組み指針である、仙台防災枠組の指針に則り、地域や市民の防災意識の向上、世界の防災文化の貢献の2つの柱を基軸として「防災都市確立事業」を実施した。市内各小学校(7校)で実施した事業では、行政やSBLの方々をはじめとした防災・減災活動にご尽力される機関と連携し、子どもたちへの防災意識の啓発及び地域コミュニティで取り組む防災・減災意識の高揚を図るとともに、世界の防災文化の向上に貢献するために、市内在住の大学生と共に、震災の際に多くのご支援を頂いた台南市へ訪問し、東日本大震災でいただいた支援に対する、感謝の想いと震災を通じて学び得た知見や教訓を現地学生に広く発信した。さらに、青少年育成事業においては、仙台市でも喫緊の課題にあがっているいじめの未然防止に向けて、学都仙台の優位性を活かし、学生と連携し、子どもたちに自己肯定感、規範意識を育むとともに、地域の方々や親御様に子どもたちの健全な心の成長のために、あるべき意識を醸成いただくことを目的に「仙台JC心の船」を実施し、子どもたちに相手を敬い慮ることの重要性や規範意識の育成を図る。年間を通じて行政、多団体、クラウドファンディングなどをはじめとした様々なツールを用いて、外部資金を導入することで関係各所と協働した運動を展開した。仙台JCは68年目を迎え、社会の変化が目まぐるしく変貌を遂げる中、地域を取り巻く環境や課題も多様化しており、JCの有するスケールメリットを活かし、関係各所との連携した運動へと深化した年でもあった。

2020年度は、「Work Together to Create the Future~至誠の精神のもと仙台(まち)の未来を切り開こう~」をスローガンに掲げ、誰もがしあわせを想い描ける共感できる仙台(まち)の実現に向けて活動に臨んだ。然しながら、WHOによる新型コロナウイルスのパンデミックが宣言され、期中における事業の再計画を余儀なくされた年となった。大きな制限がある社会情勢ではあったが、年初に掲げた事業計画における趣意・目的を違えることなく、未知の感染症に対する適正な警戒・対策を講じた事業として再編することで、仙台(まち)の未来を見据えた地域運動を市民の皆様と共に推進し、JC運動の価値を再認識する1年でもあった。
 まずは、翌年の開催を目指すJCI国際アカデミーに向けて、行政や関係諸団体との協力のもと、地域・市民の協働を促す体制を構築するとともに、国際アカデミー検討委員会を立ち上げ、事業実施に向けた誘致申請と諸計画の策定を推し進め、2021年度、第34回JCI国際アカデミーin仙台の誘致決定に至った。また、同年において仙台JCは創立70周年を迎える年でもあり、創立70周年検討会議の立ち上げから、記念事業及び記念式典の趣意や諸計画の在り方の調査・研究を行った。さらに、仙台市とのSDGs普及啓発に関する連携協定を締結し、持続可能な社会の実現に向けた取り組みに対する協働を宣した年でもあった。
 一昨年50回目の打ち上げを収め、本年も開催を宣言していた第51回仙台七夕花火祭においては、新型コロナウイルスのパンデミック宣言及び、国内における緊急事態宣言の発令を受けて開催中止を余儀なくされたものの、感染症対策を講じたうえで、非公開且つ小規模に制限し、8月5日に「想いを紡(つむ)ぐ打ち上げ花火」として打ち上げ、コロナ禍にあっても先駆した行動を起こすとともに、歴史を紡ぎ、市民の心を明るく灯して活力を与える契機とした。まちづくりにおいては、国際を共通テーマに、パートナーシップ・防災・青少年育成の3つの事業軸をもって事業計画を構想していた中で、感染症拡大による社会影響に際し、物理的な接触が制限されたため、それぞれの事業趣意を違えず、ICTを活用した事業手法に転換し実行した年であった。まずは、市民の国際交流への積極的な関わりと国際意識の高揚を図ることを目的に、行政や国際事業協力団体との連携と協力のもと、グローバルパートナーシップ構築事業を展開し、市民協働のもと仙台(まち)の国際化推進の一助とした。また、国際社会に生きる青少年の育成を観点に、仙台市内の高校生及び専門学校生とフィリピン人学生とのオンライン国際交流を通じて、子どもたちがお互いの国の歴史・文化や魅力について意見交換を行い、国際の機会に主体的に関わる環境を創出するとともに、両国の文化を表現した衣装を共同制作し、各国の子どもたち共通の事業成果として収めることにより、仙台(まち)の次代を担う子どもたちが国際社会をたくましく生きる力を養った。さらに、防災環境都市仙台の確立に向けて、国際的な防災の取り組み指針「仙台防災枠組」の指針に則り、地域や市民の防災意識の向上に継続して取り組む中で、本年の特異点であるコロナ禍における防災課題の収集及び解決策を収集・発信するとともに、各地域連合町内会やSBLの方々をはじめとする防災・減災活動の有機的連携ネットワークの必要性と具体課題について協議を深め、官民一体となり取り組む防災都市の実現に向けた提言を行った。本防災事業は、日本JC東北地区宮城ブロック協議会と協働制作した「地域防災・減災プラットフォーム MIYAGI BOSAI STATION」にて広域発信し、県内全域における防災意識の向上に寄与した。そしてまた、新型コロナウイルス感染症による社会影響下にある年度においても、仙台(まち)の未来を切り開こうとする志をもった青年経済人を集うとともに、オンラインセミナーによる研鑚も並行し行い、会員拡大と研修に対しても真摯に向き合った。
 本年度の仙台JCは、未知の感染症が齎す未曽有の社会影響下での活動が年間を通して続いたものの、JC活動の意義や本質に向き合いながら、決して未来に向けた歩みを止めない気概と覚悟を示し、地域・市民の皆様と共に新たな一歩を踏み出すことで、しあわせを共感できる仙台の実現に向けて邁進した1年であった。